あたしは成熟を目指す

プログラミング、思索、読書などの遍歴をとりとめもなく

森元首相

当時の早稲田大学ラグビー部監督大西鉄之祐スポーツ推薦を受けて、早稲田大学第二商学部商学科に入学する。しかし、当時のラクビー部は全国から強豪選手が集まっており、練習は過酷を極め、文化の違いもあり精神的にも参ってしまい、ある日吐血したため病院へ行ったところ胃潰瘍と診断され、医者から半年間練習を休むように言われた。半年もの間練習を休めばラグビー選手として終わりだと悟った森は入学から4ヶ月で退部を決心する。同時に、自分がラグビー部の推薦により大学へ入学した点を重く見て退学を決意するが、そのことを森から伝えられた大西監督に「バカもの!」「ラグビーだけが大学じゃないぞ、森君。縁あって早稲田に入ったんだ。早稲田精神を身につけて少しでも世の中の役に立つ人間になろうと君は思わないのか。将来、ラグビーに恩返しができるような立派な人間になってみろ」と叱責され、退学を思いとどまる[2]

早稲田大学雄弁会への入会

ラグビー選手への道が絶たれたことで、失意から一時は酒びたりの生活を送っていたが、郷里出身で早稲田大学大学院にいた先輩が森を見かね、雄弁会に入るように薦めた。森は2年生になると同時に雄弁会に入会し、やがて政治家を志すようになる。

森喜朗 - Wikipedia

ということなのですが、2年生に雄弁会に入会する前は「酒びたりの生活を送っていた」のであり、それは「吐血したため」に判明した「胃潰瘍」の後で、しかも1年次ですよね...未成年で胃潰瘍で酒びたり...